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東京地方裁判所 昭和51年(合わ)506号 判決

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

未決勾留日数中一八〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となる事実)

被告人は、昭和四七年一〇月下旬ころから昭和五一年一〇月一八日までの間、兵庫県宝塚市清荒神中国縦貫道米谷トンネル工事現場、大阪府池田市石橋二丁目三番二号石橋相生荘間島正志方、東京都板橋区徳丸三丁目二四番九号立山荘田口彰方、同都中野区若宮二丁目二〇番一〇号文月荘の自室及び同都板橋区徳丸二丁目七番一二号の自宅において、爆発物であるダイナマイト四本を所持した者であるが、その所持の目的が、治安を妨げ人の身体財産を害するためでないことを証明することができないものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は、爆発物取締罰則六条に該当するので、所定刑期の範囲内で、被告人を懲役一年六月に処し、刑法二一条を適用して、未決勾留日数中一八〇日を右刑に算入し、情状を考慮し同法二五条一項により、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、刑事訴訟法一八一条一項本文に従い、訴訟費用は被告人の負担とする。

(補足説明)

一  同罰則三条の罪の不成立について。

前記各証拠によると、次の各事実が認められ、これらの事実によると、被告人が、治安を妨げまたは人の身体財産を害する目的で本件ダイナマイトを所持していたのではないかという疑いは残るものの、積極的に右目的をもっていたと認定することは困難であり、被告人は同罰則三条(以下「三条」ともいう。)については無罪である。しかし、被告人は、判示のとおり同罰則六条(以下「六条」ともいう。)については有罪であるから、主文では無罪の言渡をしない。

1  共産同赤報派は、昭和四六年一一月に結成された政治組織で、自衛隊、警察等の国家権力に対して爆弾等による武装闘争を行うことを主張し、これまでに爆発物の使用事件を起したことがあり、また、そのシンパの家から爆発物の材料であるピクリン酸等が発見されたことがあるものであるところ、同派の最高幹部である坂井與直方から押収されたいわゆる川崎メモには、同派の秘密活動、川崎の活動状況等が記載されており、その中に、「その他の荷物の保管」と題し、「アドレス帳、財政関係の保管場所は次の通り、板橋区徳丸二―七―一二中屋末人」という記載があり、それに基いて右被告人方を捜索したところ、その押入れの中からボール箱に入った本件ダイナマイトがアーモンドスカッチ缶入りの黒色火薬ようのもの及びアルミはく包みのマッチの軸を削ったようなもの(以下、両者を「黒色火薬ようのもの等」ともいう。)とともに発見されたこと。

2  被告人は、本件ダイナマイトを昭和四七年九月中旬ころから同年一〇月下旬ころまでの間に、当時土工として働いていた判示米谷トンネル工事現場で拾得し、判示日時、場所において所持していたものであるが、その拾得した当時以降の心情について、捜査段階では、「緊張感を得るために持ち出したような感じであるが、うまく表現できない。東京にいた当時から非常に暗い気持で生活していた。大学での学問や学生運動に対するざ折や失望から、大学をやめる決心をし、反対されながら入った大学をやめたといううしろめたさや対人関係の煩わしさからアパートを出て家族から消息を絶った。飯場などで暮しているうちに気持がかなり内向していった。そのころ、うまくいっていなかった今の妻とふと街で会ったということがきっかけになり、また、東京には当時ぼくの兄がいたということもあって急に大阪へ行く気持ちになった。その様な生活の中で反権力という言葉だけを繰返していたように思う。関西というなれない、また言葉の違う土地で、僕の気持はいっそう内向し緊張していたようである。そして、その緊張の中でダイナマイトを拾いあつめるという行為がなされたと思う。そのダイナマイトを反権力の武器に自分ができるのか、またそのダイナマイトで自分を爆死させることができるのかという破滅的な考えと、まったく逆にこのような生活の疲れと飯場暮しのみじめさからくる、安定した生活をしたいという二つの考えが同居していた。ダイナマイトと黒色火薬ようのもの等とは、そういう物を持っているという緊張感の中で、反権力の姿勢を自分なりに持ち続けているのだということのあらわれとして保管していたもので、私にはこれらを使って具体的に爆弾を作る技術もなければそこまでふんぎる思想性もないが、漠然とこのようなダイナマイトなどを武器として権力を粉砕するという破滅的な考えがあった。ただ、それを具体的にどう使うかということまでは考えることができなかった。また、実家から消息を絶ち大阪に流れてきて生活している自分自身の存在にいや気がさして、このダイナマイトなどで自爆しようかという意味での破滅的な考えもあった。また他方で落着いた平隠な生活をしたいという気持もあって、もんもんとしていたが、落着いた生活をしたいという気持が勝って東京にもどった。しかし、先に述べた破滅的な気持もぬぐい去ることができず、ダイナマイトのような危険なものをそう簡単に捨てられないということから、東京に持ち帰った。文月荘で暮らすようになってからは、もう破滅的な気持はなくなったが、ダイナマイトはそのままずるずると持っていた。」などと供述し、公判廷では、「一〇月一九日に述べた調書の気持(緊張感を得るために持ち出したような感じであるが、うまく表現できない)が最も正確である。その後の調書での供述は、取調官に具体的な説明をしつこく要求されるうちに、あんな気持もあったのではないか。こんな気持もあったのではないか、というふうにあげられて、かえって本当のところから遠くなっているように思う。人に言葉で説明できるほどの理由や目的はないというのが本当である。一〇月二六日付検事調書の中に、『漠然とこのようなダイナマイトなどを武器として権力を粉砕するという破滅的な考えを持っていた。』という記述があるが、当時いろんな破滅的な考えが頭の中でうずまいていた中で、ダイナマイトを拾ってしまってそれを目の前にして、そういう方法で自分を破滅させることもできると考えたことは否定しないが、それはダイナマイトを拾ってから後に考えたさまざまなことの一つで、そのようなことを思いつめたうえでダイナマイトを拾ったわけではない。」などと供述していること。もっとも被告人は、ダイナマイトを爆発させるためには導火線や雷管等が必要であることを知っており、前記米谷トンネル工事現場ではこれらの物が身近にあったのに、それを入手しようとしたとか、本件ダイナマイトを使用しようとしたとかという証拠はないこと。

3  前記アーモンドスカッチ缶入りの黒色火薬ようのものは、被告人が昭和四七年六月ごろに、二〇本位の花火をほぐして缶に入れていたもので、その重さは約一八八グラム、黒色火薬と変わらない成分、効力をもつものであり、アルミはく包みのマッチの軸を削ったようなものは、被告人がそのころ、二、三〇本のマッチの軸木の頭薬の部分を削ってアルミはくに包んでいたもので、その重さは約二・四グラムあり、よく燃え、場合によっては爆発を起す可能性をもつものであるが、被告人はわずかな身の回り品とこの両者だけを持って東京から大阪へ行き、判示の日時、場所において、本件ダイナマイトと一緒に所持していたものであること。被告人は、右のようにほぐしたり削ったりしたのは、「ほんの手なぐさみで遊び半分の気持であったが、それを捨てずに所持していたのは、そのころ自分の胸の中につぶやき始めていた反権力という気持からである。」と供述していること。

4  前記川崎メモの作成者川崎は、共産同赤報派の組織の一員とみられている小田原和子こと高田あさ子であるところ、被告人は、昭和四六年暮ころ同女と知合い、アルバイトを共にしながら左翼的な活動について話合ったことがあり、また、昭和五〇年夏ごろ以降に、同女から、同派の前記闘争方針等をうかがい知ることの可能な記事のある同派の機関誌(共産主義一六号一冊)、同(赤報第二〇号一部)を交付されて持っていた外、「公安にマークされているかもしれない。いろいろと困っている。」などと言われて、同女の書類等を預かり、偽名で郵送されてくる郵便物を受取り、その一部を池袋の喫茶店まで持参して引渡したことがあること。そしてその同女によって被告人の名が川崎メモに記載されるに至ったわけであるが、被告人が本件ダイナマイトを所持していることを同女に告げたり、同女が被告人が本件ダイナマイトを所持していることを知っていたりしたと疑うような証拠はないこと。また被告人が、同女を同派の一員であると知っていた証跡はないが、左翼的な活動家であることは知っており、「自分も左翼的でありたいという心情を持ちながらなにもしていないという、うしろめたさを感じていたので、最大限同女にしてやれることはこれ位のことでしかないと思い、同女の書類等を預かり、郵便物の受渡しを引受けた。」旨供述していること。

5  右坂井が昭和五一年一〇月一三日に逮捕されたことは、同日ころテレビなどで報道され、被告人もそのころその事実を知り、妻A子との間で本件ダイナマイトのことを食卓の話題にしたものの、なんらの措置もとらないうちに前記のとおり捜索されるに至ったものであること。なお、同月一六日には右高田が被告人方に預けていた書類等を全部引き揚げていったが、その際、右坂井の逮捕等のことについては同人らの間で話題にされた証跡がないこと。

6  被告人は、早稲田大学第二文学部の学生であった昭和四四年ごろ以来、左翼的な思想をもっていわゆる学園紛争に参加したり、いわゆる成田闘争が極度に緊張していた昭和四六年九月ころ援農をかねて第二次強制収用の模様を見届けるため、三里塚に出かけ、駒井野や天浪の団結小屋付近をはいかいした後、市民団体のための仮泊所に泊って援農先を捜し、そこに寝泊りして援農し、その後も何回か援農に出かけたことがあるが、きわだった行動をしたという証拠はないこと。援農の理由について、被告人は、「いなかに残った者と都会へ出た者とが疎遠になって対立したり軽べつし合ったりするのを悲しいことと思い、その間に好ましい関係が作れればよいと思って出かけたのであって、政治的な組織との関係は全くなく、近時は家族ぐるみの交際をしている。」と供述していること。

二  六条の解釈について。

六条の罪は、爆発物を製造し、輸入し、所持し、または注文し(以下、これらの行為を「所持等」ともいう。)た者が、それらの行為の目的が治安を妨げ人の身体財産を害するものでないことを証明することができないときに成立するもので、右のような目的でないことの証明があったことを構成要件該当性阻却事由とし、その事由について被告人に挙証責任を負わせたものである。三条は、爆発物の所持等が、治安を妨げ人の身体財産を害する目的で行われたことの証明があった場合を重く処罰する規定であり、六条は、三条にあたる場合を除き、爆発物の所持等が右の目的で行われたものでないことの証明がなかった場合を軽く処罰する規定であって、両者は別個独立の処罰規定である。六条の規定中に、「第一条ニ記載シタル犯罪ノ目的ニアラサルコトヲ証明スルコト能ハサル時ハ」という証明に関する文言があることを理由にしてか、同条を訴訟法規であるといい、検察官は常にまず三条の罪で公訴を提起し、同条の目的が立証できなかったときに六条に移行し、右目的の不存在が立証できなかったときに同条の罪が成立すると説くものがあるが、同条は目的の不存在が立証できないという訴訟法上の事実を構成要件に組入れているという意味でいささか特殊な規定になってはいるが、訴訟法規というようなものではなく、純然たる処罰規定であり、また、まず三条の罪で公訴を提起しなければならないというような解釈をする根拠はどこにも見あたらない。もし仮にそうだとすれば、目的の存在の立証が困難であると思料される場合でも無理に三条の罪で公訴を提起しなければならないことになって不都合であり、この不都合を避けようとすれば、もともと六条にあたる場合の処罰ができないことになって、これまた不都合ということになる。検察官は、目的の存在が立証できると思料するときは三条の罪で、目的の存在の立証が困難であると思料するときは六条の罪で公訴を提起すれば足りるのである。また六条は、爆発物の危険性に着目して、その所持等の行為があったときは、目的の不存在が証明されない以上、これを処罰しようとするものであって、積極的に目的の存在の嫌疑があることを必要としているものではない。従って、検察官は爆発物の所持等の事実を立証すれば足りるのであり、もし被告人が目的の不存在について立証をしないときはそれで構成要件が充足され、また、もし被告人が目的の不存在を立証したときは構成要件該当性が阻却されるということになるのである。この意味で、目的の不存在の挙証責任は被告人に負わされているわけである。

弁護人は、同条は灰色無罪の場合を刑事訴訟法の原則に反して有罪とする規定であるというのである。刑事訴訟法で灰色のものが無罪とされるのはいうまでもないことであるが、それは黒色のものを処罰する規定の下で妥当する原則であって、前記のように、爆発物を所持するなどした者のうち、三条にあたるものを除き目的の不存在の立証ができないものを処罰する六条の規定の下で通用する原則ではない。

弁護人は、同条は反証を許す法律上の推定規定であるというのである。法律上の推定というのは、たとえば「前後両時ニ於テ占有ヲ為シタル証拠アルトキハ占有ハ其間継続シタルモノト推定ス」(民法一八六条二項)というように、甲事実の証明があれば乙事実の証明がなくても、乙事実が存在するものと法律の規定をもって推定するものであり、乙事実の不存在についての挙証責任は相手方が負うものをいうのである。ところが同罰則にはこのような推定規定はどこにも見あたらないうえに、相手方のする立証を反証といって、挙証責任のない者について使うことばをもってするのはそれ自体矛盾でもある。

弁護人は、六条は目的の存在の嫌疑を理由とする嫌疑刑の一種に外ならず、疑わしきは罰せずという刑事裁判の基本原則に反するものであり、憲法三一条に違反するというのである。六条は、先にも述べたように、爆発物を所持するなどした者のうち三条にあたる者を除き、目的の不存在の立証ができないものを処罰する規定であり、そういうものを処罰することも嫌疑刑というのであれば、それはそのとおりである。しかし、疑わしきは罰せずという刑事裁判の基本原則は、ある特定の犯罪の成立要件の存在について疑いがあるのに、その特定の犯罪の成立を肯定することは許されないというものであって、これを他の犯罪の成立要件を満たすものとすることまで否定する趣旨のものではない。もちろん、その他の犯罪というものが可罰性をもつものであることを要するのはいうまでもないことであるが、それは疑わしきは罰せずという原則とは無関係のことである。六条が処罰の対象とするのは、前記のとおり爆発物の所持等の事実が証明されており、目的の不存在の立証ができない場合であるから、これを爆発物のもつ危険性にかんがみ、火薬類取締法とは別に、可罰性があるものとするのは決して不当なこととは思われない。

弁護人は、同条で黙秘権を認めた憲法三八条一項に違反するというのである。しかし、六条の立証は被告人の供述以外の方法によっても可能であるうえに、その立証事項は目的の不存在ということであって、被告人に不利益なことではないのであるから、所論には賛成できない。

弁護人は、六条の証明は、検察官が主張した具体的な目的の不存在を証明することであるというのである。しかし、同条の罪の立証には、検察官は必ずしも具体的な目的を主張しなくてもよいのであるから、所論は前提において誤ったものである。もちろん、不存在の立証は容易なことではないが、具体的には次のようになされるべきものである。検察官が目的の不存在を疑わせるような事実の立証(反証)をしない場合には、被告人の目的は存在しない旨の供述だけでも不存在の証明ができたことになる。これに反し、検察官が右の立証をした場合には、その事実について不存在の立証をするとか、その事実と両立しない別個の事実を立証するとかしなければならないことになる。このように、被告人のする立証は、検察官の立証とのかね合いでなされればよいのであって、決して不能を強いたりあらゆる面で不存在の立証をしなければならないというものではない。

三  同罰則六条の罪の成立について。

前記一の1ないし6の事実によると、被告人に治安を妨げ人の身体財産を害する目的がなかったとはいえず、右目的の不存在が証明されなかったことに帰する。

四  火薬類取締法違反の罪の不成立について。

検察官は、被告人の所為は火薬類取締法五九条二号、二一条にも該当するとして公訴を提起したのであるが、同条号の罪の構成要件の内容になっている行為は、同罰則六条の構成要件の内容になっている行為に包含されていて、講学上被吸収関係に立つものと解されるから、同条の罪が成立する以上、独立した罪にはならないものと解すべきである。従って、被告人は火薬類取締法違反の点については無罪であるが、同罰則三条の罪と想像的競合の関係にあるものとして起訴され、同条の罪と公訴事実において同一性のある六条の罪について有罪の言渡をするので、主文では無罪の言渡をしない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂本武志 裁判官 天野耕一 片岡博)

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